日記

種はじっとしている

種はじっとしている

春作が始まって、じゃがいもや菜っ葉に、根菜、果菜類と、畑がどんどん賑やかになっている。今日は久しぶりにまとまったいい雨がふっている。 種は、芽吹く条件がそろうまでじっとその場を動かずに待つ。僕はなるべく発芽する条件を整えようと工夫するのだが、日照や気温、水分など手を加えようのないものは、どうにかできるわけでもない。どうしても雨がない場合には、水撒きをしたりはするわけだが、空から雨が降ってくることに比べて、畑に灌水するのはなかなかの骨折り仕事なのである。 今日の雨は、多くの種に埋め込まれた発芽の条件を満たすことになるだろう。種は途端に動き出し、それ以降は生長が止まることはない。子育てをしていても、その発芽の条件と同じように、こども自身が自律へ向かいはじめる瞬間がある。それが生み出されるための条件。それってなんだろう? それは、教育ってなんだろう? ということと同義な気がするのである。 そして、人間の教育というのがいかに大人がこどもに「教え込むか」ということに偏重しているのかを思い知らされるのである。  

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こどものものは、こどもの元へ返す。

こどものものは、こどもの元へ返す。

もう2年前のこと。息子が1年生になる時にふたりで2泊3日の旅にでた。何かと忙しい年度末とコロナの不穏な状況から飛び出して車を走らせる。1泊はテントを張って外で寝る。夜中、やけにふくろうが鳴いていた。その夜のことは今でも鮮明に思い出せる。 息子は春休みが終わったら3年生になる。ぼくと同じで学校のお勉強は得意そうには見えない。「育てられたように育つんだ」なんて言葉を聞くことがあるが、その通りだと思う。 自分が受け取った以上のものを、誰かに手渡すことは簡単なことではない。ただ、自分が受け取ったものを誰かに手渡すことはできる。自分の身の丈をわきまえること。いや、それは、自分がこども時代に受け取ったギフトを、なるべく自分が受け取ったときのままで、次のこどもたちの元へ返すことに違いない。 息子は、いろいろ話してみたくなる少年に育っている。だが、ぼくといえば、まだ何も彼に手渡せていない気がしてならない。 こどものものは、こどもの元へ返さねばなるまい。

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子どもたちよ 灯台のようであれ!

子どもたちよ 灯台のようであれ!

この絵本に出会ったのはもう4年以上前。手に入れたときに、マリノフスキーの言葉に、えらく感激して、それからはぼくにとってとても大切な一冊になっています。 この絵本に出会った時、早速、作り始めたばかりの庭しんぶんでも紹介し、お店にもおこうと発注をかけたところ、在庫が残りわずかな上に、その後は重版はしないと知り、ついつい、残っているものを仕入れたのです。 「こんな最高な一冊が店に置いてないなんてありえない!」 そう思ったのです。案の定、4年経っても再販されておらず、新品は中古で高価で販売されているのをチラチラ目にしながら、まだまだこの本を届けることのできる絵本屋であることを誇りに思ったりするのでした。 ”わたしの本は 呼びかける。 「子どもたちよ 灯台のようであれ! くらやみで 航海できない人たちのために 明りで行く手を照らすのだ!」”  この言葉は、この本の一節ですが、「こどもを見下さない」とか「こどもと同じ目線で対等に」とかではなく、こどもを人生の航路を導く光とする、「こどもをみあげる」そういう言葉だと受け止めています。見下すとか、同等って、どっか上から目線なんですよね。見上げるっていうのが一番事実に近い気がするのです。この感覚っておかしいですかね……。 まだ、庭ストアには在庫がありますぜ(笑)。 こちら!  

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春がやってくる

春がやってくる

まだ、大地は雪に覆われておりますが、気のせいか、最近、春の気配を感じることが多くなっています。陽気のせいなのか、あまりに大雪のため春の到来を強く願うあまりの錯覚なのか…。こんな厳しいなかでも鶏たちはたくましく生き延び、日が長くなるにつれて、卵の卵量も増えてきました。冬至が過ぎ、日は長くなるが寒さが厳しくなるという相反する事態にも、彼女らは、確実に春の匂いを嗅ぎとっているようです。 産業的に卵を産むように改良された鶏たちですら、春に向けて本能的に卵の量が増えていくというのに、僕は春への準備が追いつかず。野生の本能はどこへ行ったのやら……。畑に植えるものの計画がいまだ白紙状態なのです。息をするように季節ごとになすべきことができるといいのですが、なかなかそうはさせてくれません。 畑の準備もさることながら、目の前のこどもは待つことをゆするようなそぶりは一切なく、どんどん成長していきます。ぼくが追いつけない!むしろ、大人が0歳児にひっぱられている……。 いや、もしかすると、その方が健全なのかもしれません。必死に走らないとこどもに追いつけないほうがいいのかもしれない。いや、ただ、畑の計画はないと、みんな戸惑うので、せめて、見通しだけでも……。季節にもこどもにも追われるばかりです。  

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2022年は、ル=グウィン特集ではじまります。

2022年は、ル=グウィン特集ではじまります。

庭しんぶん#53は、アーシュラ・K・ル=グウィン特集です。『影との戦い』に始まるゲド戦記シリーズの作者です。自分でも、なぜ、あんなに熱心に読んでいたのか、当時はわかりませんでしたが、今思うと、彼女の「葛藤の深さ」に共鳴していたのでした。

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庭とり

庭とり

たべるとくらしの研究所の安斎さんからメッセージが届きました。「緊急連絡! 養鶏場廃業のため、2000羽殺処分。欲しい方に譲っているらしい!」と。北海道の日本海側、奥尻島を眺めるせたな町で、オーガニック飼料で飼育されていた鶏が、殺処分されるというのです。まだまだ卵を生む鶏たちです。

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ともだちって……。

ともだちって……。

庭しんぶんの5月号のテーマは「ともだち」です。ともだちについて考え始めた編集部は、それぞれ「ともだちって?」といろんな人にインタビューをしていくなかで、このテーマは「難しい!」ってことに直面し右往左往しています。「ともだち」と「知り合い」の違いって? いや、そもそも「ともだち」にも深い浅いがあるし、人によって捉え方や感じ方、求めているものが違ったりします。ともだちほしい? ともだち探してる? とか、いろいろな問いを立てて考えていきます。こんな時は、ともかく考え続ける。あとは、何となく思いついた本や近くにある本を手にとってみる。すると、不思議とそこに答えが書いてあったり…、直感なのか、必然なのか……。 庭しんぶんは次号で45号です。毎号、ぼくたちの、庭ビルのここにある「いま」を、こどもと分かち合いたい「いま」を詰め込みたいなと。4月って忙しさに飲み込まれちゃいそうになるんですけどね……。いまに踏みとどまる力をつけたいものです。そして、そろそろ種まきしないとね!    

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春分の日

春分の日

春分がやってきました。ぼくは、地球暦というカレンダーが好きで、毎年使っています。地球暦は、春分から始まるカレンダーです。時間は直線はなく、螺旋で捉えたほうがいい。そのことを教えてくれる暦です。ぼくたちは、物理的にも太陽の周りを回っていますし、時間というのは、今自分が宇宙のどこにいるかという場所を知るための概念です(あ、なんかとっても説明不足)。それに、時間って、螺旋で考えるととってもよく理解できるんですよ。 春が迫ってきてます。雪がどんどん溶けています。水が大地を駆け巡ってる。ついこの前まで、厳しい冬がやってくるなぁと思っていたのですが、気がついたらもう過ぎていきました。もう春。雪が溶けて、ふきのとうが顔をだしてます。そして、もう少しするとクロッカスなんかが出てくるでしょう。大地から生命力がグイグイ芽吹いてくる感じ。そのエネルギーを既に感じる季節になってしまいました。その植物が育つという力を使って、ぼくたちは、野菜や穀物を育てます。ええ、つまらない前置きはさておき、そうなんです。そろそろ畑の計画を立てなくてはなりません(汗)。 今年は、すこし不思議な実験をする気がしています。庭の畑では、昨年に種を蒔いてあるライ麦が育っています。それ以外は、ハーブ類を中心に自分たちが生きていくために必要なものを栽培しながら、搾取するのではなく、小さな循環を意識しながら、野菜や穀類を栽培してみます。たぶん、耕さず、肥料を入れない方法に挑戦することになりそうです。有機栽培じゃなくて、自然農法の方向で。この違いはいつか説明しますね。 そのためには、そこにある場所、そこにある土、そこに住む微生物たち、そこに関わる人間……。そういう環境の土台に少しずつ作っていく作業になります。ということで、納屋を3歳の娘と一緒に掃除しています。納屋の2階に文庫とワークスペースを作るのが今の夢。こどもと一緒にいまを生きる。それがとても楽しいなぁ。  

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