本をつくること

『具材』という本を出版したのが2017年。ちょうど、出版・編集する時期が、長女の出産、会社と店舗の引っ越し、庭ビルの誕生と色々なタイミングが重なり、なにかと忙しかった記憶がある。いや、いま思い返すと「忙しかったのだろう」というだけで、当時は、「忙しい」なんて思ってもなかった気もするのだが、不思議なことに何かの節目というのは、いろいろなことが折り重なって起こることが多い。

あれから、6年。昨年は『絵本』という本が出版され、来月には『人形の服』という本が出版されているはずなのだが、3冊目は、なんというか、ようやく本を作るということが、ほんの少しだけわかり始めてきた感じだ。作り方とかそういうことではなくて(作り方は自由だし、数多の方法があるだろう)、事実や時間を丁寧に積み重ねていく過程や、それが文字とイメージで紙にまとめられていくという編集という作業、そして、編集するときの土台となる意志のようなものが、朧げにみえるようになった。


そして、ちょうど何かの節目なのだろう。3冊目の出版に合わせて、いろいろなことが折り重なって迫ってくる。しかも、重量級のやつ。

その重さが、ぼくを地面にぐっと押し付けてくるので、最近、重力をやけに感じるのだが、それは、単に重力に抗う筋力の衰えなのかもしれないし、いままで鈍かった感覚が研ぎ澄まされて鋭くなったということかもしれない。もしかしたら、ただの気分の問題なのかもしれないし、単に自分が耐えられる以上の荷重がのしかかってきているってことなのかもしれない。

まあ、いまは、どれが正解なのかもわからないので、どちらにして、背筋をしゃんと伸ばして、荷重に耐え、跳ね除けるくらいの身体つくるか、それでも足りないようであれば、杖でも使おう。支えに頼ることは大切だし、いまはまだ立ち止まることはできない(それは本当だろうか?)。

ちょっとした言葉遊びだが、「重さ」の反対はなんだろうか。 軽さ? いや、まてよ、それは違う気がするなぁ。だって、軽くても重さはあるし、いうなれば相対的な指標でしかないではないか。「重さ」ではなく、「重力」ってのは、いつもぼくを地面に引きつけて、重さを感じさせるものだ。もし重力が働かなければ浮遊する。そこでは重量は無関係に浮遊するのだろう。

ともすると、重力の反対は、重力なんだろうな。引っ張り合う力学。地面に引っ張られるか、天に引っ張られるのか。なんの重力を感じるかによって、重さは軽さにもなる。どの重力を身に帯びるのか……。いや、それとも、、。

出版間近の本一冊の重さ。それはぼくにとっての価値でもあるのだが、それが多くの人の価値にもつながるのかどうか、それは、本を世に解き放ってみないと確かめることができない。さてさて、あともう少しで、出版です。