▷ はるよしさんに聞いてみよう 一覧に戻る Q、はるよしさんにとって、絵本ってなんですか? (庭しんぶん編集部) A 絵本は僕とこどもを繋ぐもの、結ぶもの、知り合うためのもの。実はこどもとどのように付き合うかはかなり難しいと思っている。赤ちゃんはしゃべってくれないし、3歳くらいまでのこどもの話は良く分からないし、4歳、5歳は自分勝手なことばかり言ってるし、可愛い時もあるけど、やっぱり良く分からない。7人のこどもを授かって、妻と2人楽しみながらこどもたちと過ごせたのは絵本のおかげと言っても過言ではない。ただ読むという行為だけでこどもと繋がれる。こどもは絵本を見て、聞いてくれる。毎日、毎日読んでいるうちにこどもが楽しみにしている場面が分かるようになる。その場面に来るといつものように指を差したり、声をあげたり、ジーッと見入ったりする。だからそのページは少し時間をかけて見るようにする。こうして絵本は僕とこどもを結びつける。 それは、同時にこどもを知ることになる。数知れぬ絵本たちによってこどもの内面を発見する機会を得た。息子が生まれ、ものごころがついて初めて読んだのが『くだもの』 だった。描かれたいちごに手を伸ばして摘まむふりをし、食べるふりをしていた。さらに僕にも食べさせてくれようとする息子を愛しいと感じた。小学校入学のお祝いは妻の実家のある函館まで飛行機で行った。初飛行がプレゼントだ。『とべ!ちいさいプロペラき』は赤い小さなプロペラ機が初めて大空を飛ぶドキドキが描かれている。読んだ後で飛行機に乗るとこどもがプロペラ機のドキドキを感じているのが分かる。『エンソくんきしゃにのる』 は次男に初めて読んだとき「もう1回」に応えて7回も読んだことがある。こんなに好きになる本があるのだと知った。『てんのくぎをうちにいったはりっこ』 は 「ひとうち、ふたうち」とくぎを打つその調子にこどもも体に力を入れているのが分かる。その一体感を今も思い出す。それを楽しんだ四男坊は、なんと大工さんになっている。 『ひとまねこざる』のシリーズは三男坊の誕生日のプレゼントだった。タイトルの前にこどもが自分で名前を書いている。少々長い文章なのだがよく読んだ。こどもが好きだったからだ。主人公のこざるがどんなにいたずらをしても黄色い帽子のおじさんは決して怒らない。それが好きな理由だと何回も読んでいるうちに分かった。こどもによって僕が絵本の本質に出会っている。五男坊は、思い出の絵本を1冊教えてといったら、『こすずめのぼうけん』と答えた。こすずめはお母さんに、塀まで行ったら戻ってくるように言われたのに調子にのって飛び続け、惨憺たる結果となり、お母さんがうす闇の中にこすずめを見つけて連れ帰る話だが、それが最も深く残っているとは知らなかった。20年を経て息子の言葉によって改めて僕はこの本の凄さを知ったのだった。 6人目に生まれたのは女の子。林明子さんの作品の主人公に気持ちを寄り添わせ、憧れを持って見ている娘を発見した。『こんとあき』はその最たるもので、小学校の自由研究ではきつねのこんの人形を作っていた。今も人形は健在で彼女の大切な友達だ。こどもが絵本の世界を現実の中でも楽しむ姿に絵本の奥深さ、こどもの想像力の限りなさを知ることが多々ある。末の息子が4歳の頃『わにわにのおふろ』を読んでいた。夕食後いち早く服を脱いでお風呂場へ行ったと思ったら洗面器をかぶってシャワーヘッドを持って、わにわにになっていたのだ。一緒に絵本を楽しんでいたから、わにわにになっていると分かるのだが、そうでなければ呆れて叱っていたかもしれない。また、かがくのともの『えぞまつ』や『ふゆめがっしょうだん』などは、家でも読んでいたが大雪山を散策する時に必ず持って行き、絵本と実際を比べてみたものである。大自然をこどもと共有できるのは一緒に生きていることを確認する時間でもあった。 古い話になるが、1988年1月号のたくさんのふしぎは『青函連絡船ものがたり』だった。青函トンネルが出来て連絡船が廃止になった年に刊行されたこの本を持って家族6人で最後の連絡船に乗ったのだ。本と同じ十和田丸だった。みんなで本を持ちながら船の中を見学していたら、乗組員の方がそれを見て船長のサインをもらってくれた。「十和田丸船長、山口和雄」のサイン本は我が家の宝物。三男が4歳の頃『のえんどうと100人のこどもたち』を何度も読んでいた。それで僕の大好きな絵本になった。彼が20歳の時ガールフレンドと札幌に来た。夕食の時、絵本の話題になって彼女も同じ年にこの絵本を父親に読んでもらっていたと知り、僕は有頂天になった。この2人が結婚し、そのこどもにこの絵本を読むようなことになったら親子2代に亘って同じ絵本を楽しむようになる。数年後それは夢ではなく現実になった。絵本は僕とこどもだけでなく家族、世代をも繋げ、結び付け、互いを知るためのものになった。このように楽しんだ絵本の殆どは福音館の月刊絵本だ。毎月毎月楽しみにしていたのはこどもだけでなく僕だった。 こどもが小学生になると絵本だけでなく童話や、児童文学を読むようにした。ある日小学校高学年になった長男が夕方帰って来たがひどく不機嫌だった。何か嫌なことがあったのだ。理由も聞かず、「『モモ』を読むから聞くかい?」と言うと、不機嫌な顔のまま聞き始めた。15分ほど読んで「あとは明日にしよう」と言った時にはいつもの穏やかな顔になっていた。ささくれていた心が物語で癒されたのをも僕も体験したひと時だった。この他にも 『エルマーの冒険全3巻』、『完訳ハイジ』、『冒険者たち全3巻』、『ナルニア国物語全7巻』『大草原の小さな家』等々、これらを読んだ日々がこどもと僕のつながりのすべてと言ってもいいほどだ。そして、こどもが僕を絵本や児童文学に繋げてくれた1番素晴らしい導き手だったことを大変嬉しく思っている。 藤田春義(ふじたはるよし) 1954年秋田県生まれ。大阪社会事業短大専攻科卒。むかわ町にて保育のしごとを6年余り経験し、その後、札幌第一こどものとも社に勤務。1996 年に絵本とおもちゃの専門店「ろばのこ」を立ち上げ、育児教室を開催してきた。年間 50 本以上の保育研修を実施。2000年より保育実践セミナーを主宰し、幼稚園や保育園の先生と絵本や伝承わらべ 唄、子どもの遊びについてセミナーを開催している。2019年度から研修部門をメインに活動する。北翔大学短期大学部非常勤講師。 はるよしさんに質問する メールに ①年齢、②性別、③質問 を書いて送ってください。質問は、庭しんぶんに掲載されます。※掲載号はランダムなのでご了承ください。 商品を見る 商品を見る ▷...
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Q、春義さんにとって、わらべ唄ってなんですか? (庭しんぶん編集部)
A
わらべ唄は、「人として生きるために必要な知恵」だと思っています。40年ほど前、保育士として働き始めた頃にわらべ唄の研修に参加しました。その時に唄の意味について尋ねたところ、「今はもう言葉の意味は解らないから、解らなくてもいい」と答えられました。私は、意味の解らないことをやる意味はないと思い、わらべ唄を学ぶ気持ちを失ってしまいました。
ところが22年前のこと、露木大子さんという方を通じて岩手県遠野市の阿部ヤヱさんに出会い衝撃を受けました。ヤヱさんの伝えている「伝承のわらべ唄」は全て意味が解るのです。私はそれ以来何度も遠野に出かけ、阿部ヤヱさんから直接教えていただきました。伝承のわらべ唄は熊野の山伏によって、「人として生きるために必要な知恵」を伝えるために、赤ちゃんの時から大人がやってあげるものでした。
例えば、「赤ちゃんのおむつを替える時、黙ってさっさと始末するのではなく、語りかけ、うたいかけることで、赤ちゃんの気持ちを育て、体を育て、人間として大切な羞恥心を伝えることができます」と語ります。私が主催していた育児教室でも、保育士の方の研修会でもこのことを具体的な方法と共に伝えてきましたが、65歳になった今、さらにこの意味の深さに驚かれています。おむつをするのは人間だけです。いずれ下のお世話をされながら最期を迎えます。そう気付いた時、羞恥心を持つことがどんなに必要なことかを知りました。丁寧なおむつ替えをされて育った人は自分だけでなく相手の羞恥心をも深く理解できる人に育つと思います。私はそういう人に最期を看取って欲しいと切に願います。
また、赤ちゃんにするわらべ唄は、目を見ること、体に触れること、語りかけることの3つをいつも一緒にするようにと教えました。教えられた通りにすることで、人との関わり方を身に付けたのです。唄が教えている、言葉の意味と動作の意味が分かるとより深く学びたいと思います。昨年の2月にヤヱさんが亡くなりました。今私は、伝えられたものを大切に守り、伝えたいという思いを強くしています。関心をもたれた方は、『「わらべうた」で子育て 入門編』(福音館)、『「わらべうた」で子育て 応用編』(福音館)を読まれること薦めます。
藤田春義(ふじたはるよし)
1954年秋田県生まれ。大阪社会事業短大専攻科卒。むかわ町にて保育のしごとを6年余り経験し、その後、札幌第一こどものとも社に勤務。1996 年に絵本とおもちゃの専門店「ろばのこ」を立ち上げ、育児教室を開催してきた。年間 50 本以上の保育研修を実施。2000年より保育実践セミナーを主宰し、幼稚園や保育園の先生と絵本や伝承わらべ 唄、子どもの遊びについてセミナーを開催している。2019年度から研修部門をメインに活動する。北翔大学短期大学部非常勤講師。
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Q、父親の仕事の都合で2〜3年おきに引っ越しして、転園・転校してきました。小学校高学年、中学生になり、難しい年頃、親も不安です。転校を控え、こどもにどんな言葉をかければよいですか?(40代女性)
A
親も子も転勤の度に、自分なりのやり方で新しい住居、土地、人間関係に馴染む方法を身に付けてきたと思います。それは結構たくましいことだったと思います。けれども「難しい年頃」を迎えたところに今回の質問のポイントがあります。今まではこどもが新しい環境に馴染めず不安になったり、緊張した人間関係の中にある時、私がいるから大丈夫と言える自分がいたと思います。ところがこの次は今までとは違うと思っていますね。その予感は当たりです。「難しい年頃」とは、自分の中に他の人には絶対に知られたくない秘密を持つことです。また、自分と同調できる人を強く求め、反対に同調できない人とは関係が築けないことが多くなります。それは親密な関係を作る条件でもありますが、親からすれば「一体何考えてるの? この子は」ということになります。この年頃での転校ですから、親の不安は当然のこと。
さて、ここでちょっと深呼吸をして、お茶の時間にしましょう。美味しいおやつも用意します。誰か近くに居たら誘いましょう。ポットに熱いお湯を入れて……あなたが出来ることは、こういう時間と環境を作ることではないかと思います。意識的に作るのです。そうしてこどもから話し始めることに耳を傾けましょう。「ほーぉ」「なるほど」「そうなんだ」「へー! 」と相槌を打ちます。こんな時間を週に1、2度作れたらいいのではないかしら。結構大事なことを話してくれるようになります。こういう時間に 「お母さん、あなたのこと心配しているよ」と伝えられたらいい。僕はそれで十分だと思います。本当に自分を心配してくれる人がいると思えることが、この年頃には心のブレーキにもなり、エンジンにもなります。転校に伴う友だちとの別れの辛さを引きずりながら、その気持ちを切り替えるのは自分自身の中ですること。また、新しい環境と人間関係に向き合う勇気も自分の中で奮い立たせるもの。だから、あーだ、こーだと言わず、ゆったりと構えて「さあ、美味しいお菓子とお茶をどーぞ!」と言ってくれる人がいればそれで十分!
藤田春義(ふじたはるよし)
1954年秋田県生まれ。大阪社会事業短大専攻科卒。むかわ町にて保育のしごとを6年余り経験し、その後、札幌第一こどものとも社に勤務。1996 年に絵本とおもちゃの専門店「ろばのこ」を立ち上げ、育児教室を開催してきた。年間 50 本以上の保育研修を実施。2000年より保育実践セミナーを主宰し、幼稚園や保育園の先生と絵本や伝承わらべ 唄、子どもの遊びについてセミナーを開催している。2019年度から研修部門をメインに活動する。北翔大学短期大学部非常勤講師。
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Q、大人はどうしていつも偉そうなの? (小学1年生男子)
A
こどもはよく喋るし、じっとしていないから、大人はいつも「静かにしなさい」と言う。それが偉そうに見えるのかな? こどもに比べると大人は力が強いし、身体も大きいし、いろいろなやり方も知っているから、こどもが何かをしようとしている時や、こどもが自分でできることにも、口を出したり手を出したりする。だから偉そうに見えるのかな? それとも反対に、大人に「自分でやってみろ」って感じで見られると、偉そうに見えるのかな?
大人がこどもに偉そうにしないで付き合うのは実はなかなか難しくて、こどもが本当に手伝って欲しい時にだけ「手伝ってもいいかい?」と聞いてからすればいいと思う。それに「静かにしろ!」ではなく、「今から◯◯まで静かにして欲しいのだけれど」と頼めばいいと思う。君はどう思う? ここまで読んで偉そうだなと思ったら、偉そうにしている大人に、この新聞の「はるよしさんにきいてみよう」を見せて下さい。そして、自分の気持ちを話して、大人の気持ちも聞いてみましょう。良い話し合いができるといいですね。そう言う僕も、自分で言った通りにはできない普通の大人です。君がこの質問をしたことを忘れないで大人になってくれたら、この答えが君の役に立ったことになるので嬉しいです。
そうそう、この間小学2年生と6歳の男子2人を連れて丸駒温泉の露天風呂に行きました。2人はすぐに泳ぎ始め、潜って小石を拾いました。僕は足でお湯を蹴らないようにとだけ注意して見ていました。多少迷惑に思った大人がいたかもしれませんが、こどもだから許されることがあると思います。それは大人の僕の判断です。今度一緒に行きましょう。
藤田春義(ふじたはるよし)
1954年秋田県生まれ。大阪社会事業短大専攻科卒。むかわ町にて保育のしごとを6年余り経験し、その後、札幌第一こどものとも社に勤務。1996 年に絵本とおもちゃの専門店「ろばのこ」を立ち上げ、育児教室を開催してきた。年間 50 本以上の保育研修を実施。2000年より保育実践セミナーを主宰し、幼稚園や保育園の先生と絵本や伝承わらべ 唄、子どもの遊びについてセミナーを開催している。2019年度から研修部門をメインに活動する。北翔大学短期大学部非常勤講師。
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Q、65歳になった春義さん。 65歳ってどんなですか?(30代女性)
A
1日1日、1年1年の積み重ねで65歳になりました。けれども自身は64歳の時と少しも変わらない。60歳の時とも変わらない。いや、33歳の頃からほとんど変わっていないように思います。皆さんも、いつごろから自分というものを考えましたか? 積み重ねられた時間で65歳にはなるけれど、今の僕自身をつくったのは、両親をはじめ妻や家族、友だち、仕事で出会った人たち、遭遇した様々な出来事です。それらの根本にあるのは命と生きる場所を与えてくれた神様で、僕はすべてに感謝をしています。 さて、この「感謝」という言葉ですが、僕が尊敬する佐々木正美先生に『あなたは人生に感謝ができますか?』(講談社)という著書があります。昨年最も影響を与えてくれた本でした。 65歳はどんな年齢かと問う人は、人生のまとめ、人生を評価する時期と考えているでしょうか。そうだとすれば、この本にはその答えが書いてあります。老年期の課題は「人生に感謝ができること」だと。
今の僕は、それを目指して1日1日を積み重ね始めています。まとめはこれからです。これから出会う未知なるものがあります。きっと病の辛さや衰えによる体の不自由さに見舞われるでしょう。そして死を迎えます。スーザン・バーレイの絵本『わすれられないおくりもの』では、死をトンネルのように描いて、アナグマさんはそこを走り抜けるように向こうの世界へ行きます。あのイメージに賛成ですが、それは扉のようであるかもしれない。とにかく死の向こうにあるもの、これが神様からの最大のプレゼント。想像を超えたものであることは疑いの余地なしです。最大の未知に遭遇しようとする僕は期待と不安を抱えています。その僕を支えるのは、今までの僕です。いいえ、今までの僕をつくってくれた人たちであり、出来事のすべてです。特に僕と良い関係を結んでくれた人たちは同伴者です。扉の向こうで会いたい人達です。65歳になった僕は、その人達に「ありがとう」と感謝を述べます。
藤田春義(ふじたはるよし)
1954年秋田県生まれ。大阪社会事業短大専攻科卒。むかわ町にて保育のしごとを6年余り経験し、その後、札幌第一こどものとも社に勤務。1996 年に絵本とおもちゃの専門店「ろばのこ」を立ち上げ、育児教室を開催してきた。年間 50 本以上の保育研修を実施。2000年より保育実践セミナーを主宰し、幼稚園や保育園の先生と絵本や伝承わらべ 唄、子どもの遊びについてセミナーを開催している。2019年度から研修部門をメインに活動する。北翔大学短期大学部非常勤講師。
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Q、児童館に行きたがらない小学1年生。 何かいい方法はありませんか? (30代女性)
A
お母さん、お父さん、まずはお子さんと話をしましょう。「この頃、困っていることや、何か面白かったことあった?」と漠然とした聞き方で、こどもの話をじっくり聞いて下さい。こどもは話したいことが一杯あっても親が忙しそうだと遠慮します。そんな会話の中で児童館のことも聞けたらいいです。面白い遊び道具がないとか、気の合う友達がいないとか、いろいろ出てくるかもしれません。それだけでもお子さんとしては、重かった気持ちが軽くなります。
次に親ができることをいくつかあげてみましょう。1つ目は、児童館の指導員の方と少しでも良い関係を築くことです。指導員のどなたか1人でもいいから名前を覚え、共通点を探して話題にすることです。こどもの社会性は親との良い関係を結んでいる他の大人との間で育ちます。安心できる大人たちの関係の中にいることが大切です。2つ目は、1人でもいいから気の合う友達ができるようにすることです。気の合いそうな子を、お休みの日にお家によんで遊ぶとか、どこかに一緒に出掛けるとかすることです。毎日の放課後の2,3時間、夏、冬休みの間の数時間を過ごす場所で気の合う人がいれば、楽しい時間になりますが、いないと大変孤独です。3つ目はお子さんの興味のあることを児童館で出来るように一緒に考えることです。こどものための施設ですからこどもが健やかに機嫌よく過ごすのは当然のことではありますが親も協力することが必要です。ささいなことでも提案すれば責任が伴います。面倒くさいと思うかもしれませんが、指導員の方はそのように関わってくれることを歓迎しています。
10年ほど前、我が家の末っ子が通っていた学童保育で、ワークショップ用のカプラを持って行って1週間遊んでもらったことがありました。その事があって指導員の方と親しくなりました。もし何かしら提案できれば、消極的な対応から積極的な対応へと変わります。お子さんともそのことで話し合えます。小学校の数年間をどのように過ごすかは、大変重要です。気の合う友達の親同士も繋がり合って楽しいことを提案できるといいですね。
藤田春義(ふじたはるよし)
1954年秋田県生まれ。大阪社会事業短大専攻科卒。むかわ町にて保育のしごとを6年余り経験し、その後、札幌第一こどものとも社に勤務。1996 年に絵本とおもちゃの専門店「ろばのこ」を立ち上げ、育児教室を開催してきた。年間 50 本以上の保育研修を実施。2000年より保育実践セミナーを主宰し、幼稚園や保育園の先生と絵本や伝承わらべ 唄、子どもの遊びについてセミナーを開催している。2019年度から研修部門をメインに活動する。北翔大学短期大学部非常勤講師。
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Q、4歳と1歳のこどもがいます。寝る前に絵本を読みたいのですが、下の子が邪魔をして、上の子に絵本を読めません。何か良い方法はありますか?(30代女性)
A
うーん、これは難しい!1歳のこどもは歩けるようになると、意志をしっかり持ち、なんでもできると思っているようです。また兄弟の上の子がしていることは自分もできると思うし、上の子がしてもらっていることは当然のように要求します。こんな1歳児がいて、4歳のこどもに絵本を読めば、相談者の現状になるわけです。それを承知で良い方法をひねり出してみます。
第1に、絵本は毎日、同じ時間に読む。明日も必ず、◯◯をした後で読んでもらえることが分かるからです。あなたの家では寝る前なのですね。パジャマに着替えた後でとか、歯磨きが終わってからというように誘ったらいいと思います。 第2に、お子さんの座る場所を決めます。あなたの右の膝に1歳のお子さん、左の膝に4歳のお子さんというようにします。場所が決まると安心です。 第3に兄弟それぞれの絵本に別々の分かりやすいマークを貼りましょう。1歳のお子さんにはヒヨコのマーク、4歳のお子さんにはクマのマークなどです。初めにヒヨコのマークの貼ってあるお気に入りの絵本を1歳のお子さんに見せて「このマークは◯◯ちゃんの絵本よ。お膝で読もうね」と右の膝に誘います。同じ本を「もう1回?」と聞きながら、望んだら3回か4回読みましょう。満足してくれたらしめたものです。次にクマのマークの絵本を、1歳のお子さんに見せて、「これは◇◇ちゃんの絵本だから、◇◇ちゃんに読むね」と言って4歳のお子さんをあなたの左膝に座らせて読みます。これを2週間、毎日続けて下さい。 明日も必ず読んでもらえること、自分の座る膝が決まっていること、わかりやすい自分のマークが絵本に貼ってあることなど、視覚的に分かりやすい状況を作ることで、1歳のお子さんが納得してくれるといいのですが。是非やって見て下さい。2週間継続すると大抵上手く行きます。それでもダメだったときは、もう一度ご相談ください。成功を祈ります。
藤田春義(ふじたはるよし)
1954年秋田県生まれ。大阪社会事業短大専攻科卒。むかわ町にて保育のしごとを6年余り経験し、その後、札幌第一こどものとも社に勤務。1996 年に絵本とおもちゃの専門店「ろばのこ」を立ち上げ、育児教室を開催してきた。年間 50 本以上の保育研修を実施。2000年より保育実践セミナーを主宰し、幼稚園や保育園の先生と絵本や伝承わらべ 唄、子どもの遊びについてセミナーを開催している。2019年度から研修部門をメインに活動する。北翔大学短期大学部非常勤講師。
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Q、春義さんが一番好きな絵本は何ですか? (庭しんぶん編集部)
A
嬉しい質問です。答えは、『ぶたぶたくんの おかいもの』(福音館書店)です。 どれくらい好きかっていうと、「ぶたぶたくん」と聞いただけで嬉しくなる。表紙を見ると「やっぱりこれが好き!」と思う。本文の奇妙な始まり方も傑作だと毎回思う。『絵本・子どもの本 総解説』赤木かん子著のおすすめ本400冊余りの中でも、『ぶたぶたくんの おかいもの』は見開き2ページで取り上げる特別扱い。それが僕の自慢という具合でとにかく惚れ込んでいます。
好きな理由は、自分の気持ちが主人公の『ぶたぶたくん』とぴったり重なるからです。「ひとりで おかいものにいける?」というお母さんの言葉に、ぶたぶたくんは、「いけるさ」と答え、初めてのお使いに緊張しながらも意気揚々と出かけるところ、パン屋のおじさんに「かんしん かんしん」と何度も褒めてもらって嬉しそうにしているところ、八百屋の前でかあこちゃんと会って楽しそうにおしゃべりしているところ、お菓子屋のゆっくりおばあさんに待ちきれない様子で「ぼく きゃらめる」と言っているところ、帰り道「ほんとうに このみちを いくと、ぼくのうちに いくのかしら」と心配になるところ、お母さんの姿を見つけて「おかあさん」と言ってかけ出したところ等々。
最後のページの地図と、ぶたぶたくんの黄色いリボン、かあこちゃんの赤いリボン、こぐまくんの青いリボンは、おかいものごっこをするこどもたちへの作者のプレゼントですね。作者の土方さんは1970年に70歳でこの本を作りました。僕も土方さんのような70歳になりたいと思います。
藤田春義(ふじたはるよし)
1954年秋田県生まれ。大阪社会事業短大専攻科卒。むかわ町にて保育のしごとを6年余り経験し、その後、札幌第一こどものとも社に勤務。1996 年に絵本とおもちゃの専門店「ろばのこ」を立ち上げ、育児教室を開催してきた。年間 50 本以上の保育研修を実施。2000年より保育実践セミナーを主宰し、幼稚園や保育園の先生と絵本や伝承わらべ 唄、子どもの遊びについてセミナーを開催している。2019年度から研修部門をメインに活動する。北翔大学短期大学部非常勤講師。
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