Q、5歳の女の子が虐待死したニュースを見て、悲しく悔しく腹立たしい気持ちでいます。どうしてこんなことが起きてしまうのでしょうか。(30代女性)
A
6月7日の新聞で報道された結愛ちゃん(5歳)の事件では、結愛ちゃんが残した文章と死に至るまでの父親による虐待の状況があまりに酷で、私も相談者と同じ気持ちで、同じ問いを発しています。なぜ起きたのか? なぜ助けられなかったのか? と。結愛ちゃんが受けた寂しさと、悲しみと、辛さと、孤独と、痛みと、寒さと、飢えを、相談者も私も、読者の皆さんも、その一端を共有し、いたたまれなくなります。死に至らせたこの当事者のお父さんはいったいどうだったのでしょう。そのことを初めに考えてみたいと思います。
私が敬愛する児童精神科医の佐々木正美先生は著書の中で、アンリ・ワロンの研究を分かりやすく説明し、「悲しみ、苦しみ、痛みの分かち合い。他者を思いやる感情は乳児期に喜びを分かち合う経験をしないことには、絶対に発達しない。」と記しています。このお父さんの行為はいじめ以外の何ものでもありません。信じがたいことですがこのお父さんには他者の悲しみ、苦しみ、痛みを分かち合う感情が育っていなかった。乳児期に喜びを分かち合う経験が極端に乏しかったと言わざるを得ない。そう思います。また、大人からこどもへの暴力には、「お前のため」などと身勝手な理由をつけます。自分のライフスタイルを押し付け、不幸な関係が連鎖します。行政機関が様々な形で連携し援助の手を伸べてもそこからもれてしまう家族があります。結愛ちゃんは児童相談所の一時保護に2度保護されました。お父さんは結愛ちゃんへの傷害容疑でやはり2度県警に書類送検されています。それでも結愛ちゃんは見捨てられてしまいました。
親の子殺しがニュースになったのは2000年が明けて間もなくだったと記憶しています。非常に衝撃的でした。しかし、今は月に1、2回の割合で同じような報道があります。それはとりもなおさず、今の大人たちの乳児期の問題だと言えます。恐ろしいことです。深い闇があります。私は、グロリアクリニックで望まない妊娠をされた方のご相談を非常勤で受けています。ご相談を受ける時、私はおなかの赤ちゃんになって考えたり、感じたり、発言することに決めています。徹底的にその立場に立ち続けます。出産に至るケースはその中の1割です。無力感に打ちひしがれることがあります。それでも次のご相談を受けた時、私の目と耳と心と体を赤ちゃんに重ねます。それを止めたなら、私の存在の意味さえ疑わしくなります。
佐々木正美先生は、「臨床家として教育者として決して絶望的なことを伝えようとはしない。それよりも取り戻すことは出来る、まだまだ希望がある、努力していくことが大切なんだと伝えます。元気を与えたいんです。私自身もそう信じるように、自分の気持ちを奮い立たせるようにして、伝えます。」と記します。私も同じ思いです。幼い人に会ったなら微笑みかけて下さい。こどもを連れたお母さん、家族に会ったら「こんにちは」とあいさつをしてください。小さな繋がりをたくさん作る、そこから始めませんか? そのつながりが闇に光を投じることになると信じて!