伊東俊介インタビュー
フィルムは撮ってから見るまでに時間があるでしょう。その時間が感じ方を変えるんです。
Interviewed by Konomi Horiuchi
「いとう写真館」は、ギャラリー、カフェ、雑貨店など様々な場所で開催する、写真家・伊東俊介による出張写真館。モノクロフィルムで自分の姿を残すことの大切さを伝える活動として、全国各地を巡っています。
写真館には、写真の根本的な良さや、普遍的な役割が詰まってる。
庭ビルにとってはすっかり夏の定番イベントとなったいとう写真館。現在庭ギャラリーではいとう写真館展を開催中です(2020年5月13日〜30日)。新型コロナウイルスの影響で「見に来てください!」と大声で言いづらい状況ですので、小声で言います。見に来てください。
展覧会のオープニングでは伊東さんをお招きしてみんなでワイワイ飲む予定でしたが、それもかないませんでした。そこでオンラインでお楽しみいただけるコンテンツを公開します。伊東俊介さんのインタビューをお楽しみください。
いとう写真館で撮影してみたいとは思いつつ、一歩踏み出せていない人って多いと思うのですが。
ですよね。「私は記念写真はいいわ」っていう反応は、普通だと思います。
いとう写真館のアイデアはどこから?
ひとりの人を死ぬまで撮り続けたら面白い作品になると思いついたのが最初です。でも、それはなかなか難しいから、誰か大切な人と一緒に写真を撮ってみませんか? ってところから始めました。
伊東さんの好奇心で撮り続けている?
そう(笑)。毎年撮りに来てくれる人がいるかはわからないけど、とにかく続けてみようというのがスタート。最初の数年は、ほんまに面白いと思ってくれている人が半分、残りの半分の人たちは、続ける意味あるのかな?? って半信半疑だったと思います。続けているうちに共感してる人が増えてきた感じですね。
兵庫県西宮市にあるギャラリー6cさんで「10年間撮ってみませんか」っていうのを始めたら、26組来てくれたんです。そのうち18組は10年続けて、今も続けてくれています。10年アルバムはこの時に作ったんです。
いとう写真館はどうして移動するんですか?
僕はもともと商業媒体のフリーのカメラマンとして活動していました。いとう写真館は自分の作品づくりとして始めたことなんです。だから材料費だけをいただくつもりで、最初は5000円くらいだったんですよ。
今の1/3くらいの価格ですね(笑)
カメラマンとして仕事をする中で、成人式や七五三の記念写真館の仕事って、めっちゃいい役割だってことに気がつきました。でも、写真館のカメラマンを目指す人はおらんなぁと。写真館には、写真の根本的な良さや、普遍的な役割が詰まっていると思うんです。その魅力にみんなに気づいて欲しい。だから、「写真館」という場所よりも、記念写真そのものの良さを伝えたいっていうのが根っこにあります。
ここだけの話、伊東さん的に「写真館はもうええわ」とはならないですか?
もうええわっていうか、これでええんかなって迷いはこの4、5年ありましたね。いとう写真館にかなり時間を費やして、商業カメラマンとして柔軟に動きづらくなってきたというのもあって、写真館に偏りすぎてていいのかなって。
なぜ、デジタル/カラー写真ではなく、フィルム/モノクロ写真を選んだのですか?
単純にモノクロ写真が好きだったから。いとう写真館を続けながら「なぜモノクロの方がいいんだろう?」と考え続けています。カラー写真は情報が多いので、写真としてまとめたい気持ちが出ちゃうんですよね。でも、それは「今のあなたをそのまんま撮る」っていうのとは矛盾しちゃう。映る人も、撮る人も、そのまんまでいれるのがモノクロかなと思います。
この先もずっとフィルムですか?
はい。1970年代生まれの僕たちにとっては、写真といえばプリントでした。それがデジタルに変わった。デジタルにはフィルムとは違う良さが新しい形で詰まってて、可能性がグッと広がってるんですけど、でもフィルムにあった良さは消えてしまった気がします。
いとう写真館を始めた15年前は、今スマホで写真を撮るのと同じような感覚で、フィルムで撮影したんです。当時はそれが当たり前のことだったから。それがスマホが急速に普及したことで状況が激変して、フィルムは一般の人の生活から離れていきました。いとう写真館があるから僕は今でもフィルムで撮り続けられているわけですが、どうやらかなり貴重な存在になってしまったようです。
フィルムとデジタルでは写るものは違いますか?
うーん、どうでしょうね。同じかもしれません。でもフィルムは、撮ってから見るまでに時間があるでしょう。その時間が感じ方を変えるんです。撮ってすぐ見せたら、例えば目が細くなっていた場合、写ってる人も撮り手も「もう一度撮りましょうか」ってなるんです。でも、フィルムの場合少し時間をおいて見るから、撮った写真がちょっと懐かしい写真になって、いい意味で過去になっているから、受け止められる。撮った時間がいい時間だったら、いい写真になるんです。
だから記念写真はフィルムの方が撮り手も楽なはずだと思います。デジタルだとその場で確認できるので確かにリスクは軽減できますけど、そうなると全員の表情が完璧な写真を撮らなあかんでしょ。そっちの方が難しい。
その場で確認できない不安はない?
うん、確認できないのは確かに怖いことですけど、そこはもう楽しませるってことに全力を注いでます。家族が全員揃うって、実はなかなか難しいことだと思うんです。予定が合わないとか、前日になってやっぱ行かれへんとか、家族間でそういうこと起きるでしょ? だから全員揃うきっかけをつくれてるだけでも意味があるかなと思ってます。
えっ、つまり、写真を撮らなくてもいい?
いや…… そう、確かに(笑)。10年くらい撮り続けている人が、何年目かに来られなくて、「撮り続けてたのに悔しい…… 残念……」って。もちろん毎年撮って欲しいって思っていますけど、無理しなくてもいいんです。1年空けて次の年に来ると、抜けた年をすごくはっきりと覚えてるんです。写真がないから逆に思い出せる。写真が残ってないという残し方もあんねんなって思います。
でも、それは毎年撮る習慣を持ててるからこそのこと。そういう意識があれば、5年おきとか、入学・卒業の節目だけとかでもいいんです、それぞれのペースで、刻んでいくっていうこと。バッチリ撮れてる写真と写真の間にある時間を思い出すきっかけとして写真が残ってること。やっぱり全員が集まることが大切なんです。
自分たちで撮るとなると、誰かが撮り手になるわけですよね。お子さんが小さいとお父さんかお母さんが撮り手になります。三脚立ててセルフタイマーで撮るってなかなか面倒ですから。
少し意地悪な質問かもしれませんが、自撮り棒ではダメですか?
あぁ、意地悪な質問ですねー(笑)。僕は別にいいんちゃうかと思ってます。大事なのは全員が写ってるってことだから。でも、どうして他人に撮ってもらった方がいいか? って考えると、撮り手による影響があるわけです。僕が撮るのと、他の人が撮るのとでは、出てくる表情もリアクションも変わりますよね。
僕は写真を撮るときに、本人も含めて身近な人が「その人らしい」って思う表情を撮りたいと思っています。僕が撮りたい表情や、この角度から撮るのが一番いいっていうのを押し付けず、家族の前で普段見せている表情をセレクトします。
必ずしも笑ってなくてもええとも思ってます。表情をつくらせると人形みたいになってしまうから、動くきっかけをつくるために話しかける感じ。自撮りの写真って鏡みたいになっちゃうんですよね。
自分で自分が見えてるから?
そう。鏡って意識してつくった表情の自分を見てるんです。鏡の自分と目を合わせて向き合うじゃないですか。でも僕は、「人から見たあなたはこういう人なんですよ」ってのを撮ってる感じなんやと思ってるんです。例えば、写真が苦手とか、人見知りの人とか、あまり笑い慣れてないって人っているんです。そういう人には笑顔ってこんなにいいものなんですよって気づいて欲しいって思ってます。そういう役目やと思ってて。
モノクロで撮ってるのもあって、写真苦手だし今まで一度も写真屋さん行ったことないって人も来るんです。そういう人が来てる時は「やったろ」って思うんですよね。最初の頃は無理して笑わせようって力んでたんですけど、最近はしゃべり倒して表情を引き出せるようになってきました。例えば3人いて1人だけ無表情だと目立っちゃう。それはその人にとってはいい写真にならないと思って。表情が揃った瞬間を撮るようにしています。
お客さんに「違う写真がいいです」と言われることはないですか?
「他の写真ないですか」って言われたことは、1万回以上撮って5回くらいちゃうかな。数えるくらいしかないです。そういう時は、必ず僕がなぜこの写真にしたかを話すようにしてます。そうするとだいたい皆さん納得してくれます。8割くらいがリピートしてくれるってことは外してないんかなって思っているんですけど。
撮影のコツってありますか?
必ず三脚を立てて撮ります。そうするとカメラから手を離せるんです。スタジオ撮影の場合は、一度ピントを合わせたら、外れる心配はないから、空気をつくることに集中できます。技術的には、ライティングして、立ち位置を決めた時点で終わってるんです。
だから受付の時に話して、どう撮るかを考えます。マニュアルはありません。「兄弟かな?」とか「結婚してる?」「 親子?」とか関係性を探ったり。とにかくその人らしさを出しやすい空気にする。「いい格好しないと!」みたいな空気をまとわせないことを意識してます。
いとう写真館を続けることで全国の写真館は活気付きましたか?
そうなってるとええなあと思ってます(笑)。15年前は、街の写真館で家族写真を飾っているところってあまりなかったけど、飾っているところが出てきたなと思います。結婚式や入学式みたいな特別な日だけではなく、普通の日の家族写真が増えたと感じてます。
街の写真館が衰退していくのを止めるのは難しいですか?
街の写真館は型をつくって、そこにはめていく感じのが多い。1、2回撮って、金太郎飴的に同じ写真だったら、お客さんは毎年は続けないですよね。街の写真館が減る一方で、僕のようにフリーの写真家が撮影会をする機会は増えたと思います。写真館はもはや僕だけのものではなくなて、お客さんが続けてることを僕が手伝ってるんだって感じるようになってます。もうお客さんが親戚みたいになってきて、毎年来てるのに撮りに来ない人がいると心配になったり。
お正月に親戚が集まるみたいな感覚ですか?
完全にそれですね。家族によっては全員揃わなかったり、色々ある方もいます。またいつかみんな揃って撮れたらいいなと思うんですよ。病気されたりしても、写真館で写真を撮ることを心の支えにしてくれてるなって感じることがあったりとか、やりがいがありますね。
撮影の間隔として1年ってどうですか?
あっという間ですね。場所に対する気持ちの距離感も縮まるから余計早く感じます。北海道も最初は旅行みたいな感覚だったけど、今は親戚の家に行く感覚。自分の1年の中の恒例行事みたいになってきました。
撮り続けることでの発見ってありましたか?
続けて思ったことは、最初10年って言って、10年目になった時に、こんなもんかって思ったんですよ。どうやら20年はいるみたい(笑)。20年って、こどもが生まれて成人するまでじゃないですか。それは作品として力があるし、いろんな家族の形としても参考になるものじゃないかと思います。フィルムはちゃんと保管されていたら、デジタルと違って、300年後でも当時の資料として見れるんです。そう考えるとすごく価値のあるものなんです。