宮川敦インタビュー

全国各地に靴を届ける感覚、
それをもう一度感じたい

Interviewed by Shin Sasaki

1942年から70年以上続く、イスラエル発の革靴NAOT(ナオト)。ヘブライ語で「オアシス」を意味するNAOTの靴は、まるで砂の上を素足で歩くかのようなやさしい履き心地です。NAOTの靴はイスラエルの熟練の職人たちによって一足一足丁寧に作られています。

今年も庭ビルにNAOT の靴がやってきます。2017年から庭ビルで行われているNAOT Caravan(ナオトキャラバン)はNAOTの靴をもっとたくさんの人に知ってほしいという思いから始まった、全国を巡る靴の受注会です。「風の栖(かぜのすみか)」にて、NAOTの靴の輸入を始めた、宮川敦さんにお話を伺いました。

 

NAOTの靴について教えていただけますか?

NAOTはイスラエルで職人たちがひとつひとつ手作りしています。日本以外では、アメリカ、カナダ、オーストラリアを中心に販売されています。日本ではサボを中心に揃えていますが、日本以外の地域では実はサボはもう販売されていません。

確かにイスラエル版と日本版ではウェブサイトの印象が違いますよね。

日本向けにはクラシックなデザインの靴を選んでいます。本国イスラエルではもう販売されていないモデルも多く、僕たちのためだけに製造してくれているんです。もともと日本ではNAOTといえばサボが人気でしたし、僕たちが日本の輸入代理店を引き継いだ時にもやはりサボの取り扱いからスタートしました。NAOTのサボはデザインがシンプルだから、飽きることなく履けるし、リペアしながら何年でも履き続けられます。

キャラバンではどれくらいの靴が見られますか?

ダンボールで10~15箱くらい持って行きますから、引っ越しくらいのダンボールの数です。デザイン、色、サイズを揃えていくと、結局そうなってしまうんです。

2016年には、ほぼ日の「生活のたのしみ展」に出店されてましたね。

はい、2016年3月24~26日の3日間六本木ヒルズで開催されたイベントに出店したのですが、それはもう凄まじい来客数でした。もうひっきりなしにお客さんが来て、一日であれほどたくさんフィッティングしたのは初めてです。膝をついてフィッティングし続けたせいで足が筋肉痛になってしまって……

凄いですね。

僕たちがNAOTの靴を輸入し始めたのは2009年、当時はNAOTの靴を六本木ヒルズで販売するなんて想像もできませんでした。義母と、嫁と、僕の3人でNAOTの日本での取り扱いを再開させた時には、奈良の風の栖(かぜのすみか)で、黒と茶色の2色のサボを取り扱うことから始めて、ほとんど誰もNAOTのことを知らないから、道行く人に「是非一度履いてみてください、この靴絶対にいいですから」と声を掛け続けていたのに、今では、六本木ヒルズに履いてきてくれる方がいる、そして自分以上にNAOTの靴について熱く語ってくれるスタッフが接客している。その景色に心を打たれて、3日間こっそりずーっと感動し続けていたんです。こんなことあるんや、8年間地道に続けていたら、と。

何が変わったのでしょう?

最初から何も変わっていないんです。目の前のお客さんと一生懸命話して、丁寧にフィッティングする。それだけ。とにかく続けることの大切さを実感しています。実際にNAOTの靴を履いてくれている方たちが、口々に「やっぱりNAOTの靴はいい」と言ってくれるのが嬉しいです。

足の形は人それぞれ、悩みどころも千差万別
だからフィッティングを大切にしています

靴選びのポイントを教えていただけませんか?

みなさん靴をデザインで選んでいると思いますが、実は靴にはそれぞれ用途があります。仕事で履く靴、おでかけ用、ちょっと買い物に行く時に履く靴など、選ぶべき靴は用途によって変わるんです。NAOTの靴を一足買うなら、日常で履く靴、履く機会が多い靴を選んでいただけると嬉しいです。

靴は何足持っていると良いですか?

同じ靴を履き続けると傷んでしまうので、3足くらいを履き回すと靴が良い状態を保てると言われています。売場や倉庫にこれだけ靴がありますが、僕は4~5足しか持っていませんけどね。

足で悩んでいる人は多いですか?

はい、特に女性は足で悩んいる方が多いです。外反母趾、骨が変形している、甲が高かったり低かったり。足が靴に当たって痛いという理由で大き目の靴を履いている方が多いのではないでしょうか。足の形は人それぞれで、悩みどころも千差万別。だからフィッティングを大切にしています。

自分の足のサイズはわかっているつもりですが……

自分の足のサイズって誤解している方が意外と多いんです。スニーカーは幅が狭く、幅でサイズを決めるから、大きい靴を履いている方が多い。普段は27cmと言われて靴を用意してみると大き過ぎて、NAOTの靴ではワンサイズ、場合によってはツーサイズ小さくなることもあります。

宮川さんはどこでフィッティングの技術を身に着けたのですか?

最初は全然やり方がわかりませんでした。誰かに教えてもらった訳ではないんです。フィッティングを続けていくうちに足の事が理解できるようになりました。お客さんと話すと必要なことを教えてもらえるし、この靴でなんとかお客さんの悩みを解決したいと思います。そいう経験が積み重なってできるようになったのだと思います。

フィッティングにはどれくらい時間かかりますか?

5~6分くらいで決められる方もいますし、迷われて30分以上かかったる方もいらっしゃいます。足に合うデザインかどうかも問題です。フィッティングした上でデザインやサイズを提案し、最後は自由にお選びいただきます。

NAOTの靴では対応しきれない、ということはありませんか?

大抵のことには対応できると思います。ただ、対応が難しい場合は率直にお伝えします。革は履き込んでいけば必ず柔らかくなっていくのですが、例えば外反母趾の場合、足が当たる部分をあらかじめ革に調整を施して履きやすくします。器具を使ってグッと広げておく。店舗ならその場で調整できるのですが、キャラバンの場合は、足を計測してカルテのようなものをつくり、調整してから発送しています。

ファッションというより、ひとつの道具として
愛着をもって履き続けてほしい

この靴は新品だから革が硬いですけれど、例えばこの靴、僕が8年くらい履いて履きつぶして革がクタクタに柔らかくなっています。NAOTの靴は、革さえ大丈夫であれば何度でも修理して履き続けられます。NAOTの靴は、ファッションというよりも、ひとつの道具として愛着をもって履き続けていただきたいと思っています。

実際に修理を依頼される方ってどれくらいいらっしゃいますか?

修理の依頼はとても多いです。1日3、4足くらい修理依頼を受けるから修理部はパンパン。NAOTの靴は中敷きを取り外せるので、傷んだら中敷きだけを交換できます。また、靴底のゴムが減ってきたら、かかとだけゴムを切り取って貼り替えできますし、靴底全体を交換することも可能です。リペアは全て日本で行っていて、難易度に応じて簡単な修理なら自分たちで、難しいものは工場にお願いして修理してもらっています。履き古した靴を修理に持ってきて、新しい靴を購入して履いて帰られる方が多いです。

イスラエルでも修理は受け付けているんですか?

本国でも修理を受け付けてはいると思いますが、日本はどこよりも修理に力を入れていると思います。僕と妻は4年間バックパックを背負って世界を一周してました。その時はほとんど物を持たずにリュックひとつで生活していたし、壊れたら何度でも修理して使い続けていたんです。嫁と僕にはそういう考え方のベースがあるんだと思います。だからNAOTの靴は、とにかく長く履いて欲しい。そう考えると、きちんとフィットした靴を履いてもらいたくて、フィッティングにしっかり時間をかけて、お客さんといっぱい話して決めてもらいたいんです。

やりきって、満足して、旅はもういいや
というところまで旅をしました

世界一周の旅に出たきっかけを教えてください

嫁も僕も旅が好きでした。「世界ウルルン滞在記」などの旅番組を観て、「楽しそう! 行ってみたい!」という想いが積もり積もって、僕が30歳の時に二人で世界一周の旅に出ることを決めました。行きたい場所のリストが長くなり過ぎて、休暇をとるではどうも足りそうにないので、会社を辞めることに。今考えると無茶でしたね。でも、あの時旅に出て良かったと思います。

どれくらいの予定で旅に出たんですか?

2年くらいのつもりでした。でも、アジアを横断しトルコに着いた頃にはすでに1年が経過していて、「あれっ、これは2年では無理だな、終わらんな、もう少し長い旅になる予感がする」と。とにかく行けるところまでいってみようと旅を続けたら結局4年経ってました。

世界一周って楽しいですか?

めちゃくちゃ楽しかったです。旅の期間はずっと夢の中にいるようでした。やりたいことだけやってますから。大陸が変わると、宗教が変わり、人種も変わり、見える景色もどんどん変わっていき、好奇心が尽きない。隣の国を訪れたらどんな人達に出会えるだろうとか、どんなご飯が食べられるんだろうと、とにかく楽しかったです。

一番長くいた国はどこですか?

国としてはインドです。アジアを南下して半年目くらいにインドに入って、ずっと南まで降りて行ったら半年くらいかかってて。次に長く滞在したのはペルーかな。ペルーでは馬から落ちて足を骨折して1ヵ月くらい通院していました。

世界一周中は、一度も帰国せず?

いいえ、兄の結婚式で一度帰国しました。その時の日本は新鮮でしたね。ただ、旅の途中でよく日本人の短期旅行者には会って、日本の話は聞いていました。そうそう、彼らが持っている携帯電話がどんどんアップグレードされていくんです。なるほど、携帯電話で星座を見れるようになっているんだ、とか。

夫婦二人旅。喧嘩しないか気になります

周りの人たちの話を聞くと、結構仲良くやれていた方みたいです。喧嘩はしましたが、お互い支え合わないと、助け合わないと、二人だけだから生き残れないという場面が何度かありました。例えばアフリカの名もなき村を訪れたときは、周りは黒人の人たちだらけで、言葉もあまり通じない。

また世界を放浪したいですか?

僕はもういいですね。やりきった感じがあって。明確な目的やゴールがある旅ではなかったので、やりきって、満足して、旅はもういいや、旅は終わりでもういいやというところまで旅を続けました。僕の人生は旅を終えた時点で一度終わっているんだと思います。

やりきった瞬間を覚えていらっしゃいますか?

南米に1年間くらい滞在していたときでしょうか。どこだったかなー、メキシコ、いやコロンビアあたり、とにかく南米大陸の上の方で、なんかもう、そろそろいいかなぁと。大陸が変わっているうちはまだいろいろ予想外のことがあったんですけど、南米ってほとんどがスペイン領で町並みも似ているんです。言葉もスペイン語でほとんど通じるし。食べ物はいろいろあったけれども、なんとなく予想がついてくる感じがずっとあって。その時に、だいたい全部まわったのかなと、終わりかなと。

その瞬間は夫婦で共有できるものですか?

はい。結構、その旅の潮時みたいなものは、たぶん同じくらいのタイミングで感じたと思います。もうそろそろいい? みたいな。旅の始まりはもう好奇心が満載なわけです。何もかもが新鮮。でも旅を続けているとだんだん歳をとっていくというか、旅の最後には、もう人生が終わるんじゃないかと感じていました。4年間で一生分の人生を体験したような。だいたいのことを経験してだんだん老人になっていく。事前にトラブルを回避できるようになるし、経験的に、あ、これ、こっちに行くとまずそうだなとか、あ、こっちに行くと楽しそうやな、とかがわかるようになり、ハプニングもトラブルもなくなって楽しくなくなってくるんです。旅は安全に続けられるんですけれど、予想外のことが起こらなくなってくる。うまく旅ができちゃう。そうするとだんだん終わりがくるような。むしろ日本に定住することのほうがワクワクするようになってきました。

世界一周の旅はおすすめですか?

やってみたいけれど、今の日本での生活を失うのは怖いと躊躇しているなら、思い切って行ってみることをお勧めします。日本に帰ってきたらなんとかなりますから。必ずしも放浪し続ける必要がある訳ではなくて、1つの国に3~6ヵ月滞在することを繰り返すとすごく楽しいと思います。

その後日本に定住してどうでしたか?

全てを最初からやり直す感じでした。例えば、僕が育った時には、冷蔵庫も、洗濯機も、掃除機も、電子レンジも、家電はすべて揃っていました。旅をしていた4年間は家電を一切使わずに過ごしたので、僕たち夫婦は家電が無くても生きていけるんです。帰国後に、本当に必要かどうかを嫁と議論して冷蔵庫を購入したのですが、「なんだこの便利な道具は!」と思いました。次に購入したのは洗濯機。旅の服を入れて洗ったらビリビリに破れてしまって… それまで手洗いしていたから長持ちしていた旅のパンツが… 洗濯機の洗浄力があまりに強すぎて… 家電は便利ですが、消費しているというか消耗させているということに気がつきました。帰国後の1年くらいで、戦後の日本人が体験した生活の変化を自ら体験したのかもしれません。今でも炊飯器は持っていません。

帰国後、すぐに社会復帰できましたか?

いいえ、時間がかかりました。嫁はすぐにアルバイトを始めたのですが、僕は半年くらい水タバコふかしながらぼーっとしてました。当時34歳。何かできそうな気がしていたし、力は余っていたんですけれど、大きな夢を達成した直後だから、がんばることが思いつかない。世界を旅して帰国後にいったい何をするのかは、旅人が集まって酒を飲むと必ず話題になります。そしてその話をするとみんな陰鬱な気分になります。

心配ですね 笑

ええ。ごはんを食べて、水タバコを吸って、眠るだけ。そんな生活を続けていると、いったい自分の存在には意味があるのだろうか?と考え始めます。自分は誰の役にも立っていないことに気が付きます。働くというのは、誰かのために何かをすることではないかと思います。帰国して半年後、義母の店を手伝った時に、とにかく誰かの役に立っていることが嬉しかった。そのうえお金がもらえるんだからラッキーですが、とにかく誰かのために時間を費やしていることが本当に嬉しかったんです。袋にハンコを押すだけでも「あっ、これ、誰かのためになってる」と。そして、どうせ押すならまっすぐに押そうと。僕たち夫婦は4年間自分たちだけのために生きて、誰かのために何かをすることはありませんでしたから、いつしかそんな生活に退屈してたのかもしれませんね。

その延長で会社を設立されたんですね。

お客さんが増えれば増えるほど期待されているということなので、できるだけその期待に応えたいと思っています。一人の力では無理だからスタッフの力を借りて実現する。サラリーマンの家庭に育ち、20代で大学を出て就職。当時は働けることのありがたみや意味を全く理解できていなかったと思います。家電の話にも通じるかもしれませんが、すでに用意されている枠組みで働いていたから、働けることのありがたさとか、意味については考えたことすらありませんでした。旅に出てまっさらになったおかげで気付けたことがたくさんあります。